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由緒・歴史
御由緒
徳川家康公薨去(こうきょ)後33年忌に当る慶安元年(1648)、当時の広島藩主浅野光晟(みつあきら)公(浅野家第四代)によって、広島東照宮は、広島城の鬼門(東北)の方向に当たる二葉山の山麓に造営されました。

光晟公の生母は、家康公の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康公の御遺徳を敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀りました。歴代藩主、社領三百石を付し、広島周辺の崇敬を集め、春秋の祭礼の外、家康公薨去後50年に当る寛文6年(1666)以後は、五十年毎に盛大な祭典が行われました。

社殿は、「二葉山山麓に位置し、観望の美麗なるは、毛利氏広島に築城以来、第一のもの」と云われていましたが、昭和20年8月6日の原子爆弾の熱風により、桧皮葺本殿、中門、瑞垣、拝殿は焼失。

現在の社殿は、昭和40年4月、家康公薨去後350年祭を記念して再建されました。



桜の馬場から見る東照宮(大正〜昭和初期頃)
文化財
唐門・翼廊・手水舎・本地堂・御供所・脇門・神輿および麒麟獅子頭は、広島市指定重要有形文化財です。いずれも360年余りを経過し、広島の歴史・文化上価値が高いものです。
●麒麟獅子頭(右から雄・雌)
御神徳
東照公の御神徳は、一言で言えば下の御遺訓に示されます。

御遺訓、人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。不自由を常とおもへば不足なし。
心に望みおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ。勝つ事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる。
己を責て人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。慶長九年一月十五日
 
家康公は、天文11年(1542)12月26日三河国岡崎城で誕生されました。

当時の日本は、戦国時代と呼ばれた戦乱の世であったので、幼い時から人質にとられ大変な苦労をされ、困難な道を歩まれました。しかしよく困難に耐えて、堅忍自重、時節の到来を待って、混乱の社会に新たな秩序をつくり、学問をすすめ、産業をおこし、国民生活の安定を図り、江戸時代260余年にわたる輝く文化と、平和の基礎を確立され、近代日本の進展に偉大な寄与をされます。その功績は近年海外においても、高く評価されるに至りました。

元和2年(1616)4月17日75才をもって駿府城で薨去されましたが、朝廷より、東照大権現の神号宣下があり、神に祀られました。

この御遺訓は、公がその生涯の体験から、身をもって示された処世の秘訣と云われていますが、今日においても、一段と深い意義を示しています。
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